事例:ワークスヤグチ 様

ワークスヤグチ 様

本物を追求し、塗料はアクロベースに
ワークスヤグチ
(茨城県小美玉市)

 先頃、トヨタが2007年1〜3月期自動車世界販売台数で、最大手の米GMを上回ったことが話題になりましたが、これにより日本は、名実共に世界一の自動車大国となったわけです。
 同社が初の乗用車「トヨダAA型」を世に送り出したは1936年、トヨタ自動車工業が誕生したのは翌37年ですから、まさに70年目の快挙といえるでしょう。
 さて今回、アクロベースユーザーとしてお訪ねした「ワークスヤグチ(矢口建雄社長、旧社名:矢口自動車工業所)」は、そのトヨタより早い1929年の創業。フォードやGMといった輸入車が走り回っていた時代に、創業社長はすでにモータリゼーションの到来を予見していたそうです。

■修理だけでなくカーメーカーとしても活躍
 同社の創業以前、先代社長はラジオなど電気製品の修理業を営んでいました。ある日、偶然近くの呉服屋の前で故障していた輸入車の、ダイナモ修理を請け負った際、将来の自動車産業の発展を予感し、これをきっかけとして、石岡駅前で自動車修理工場を始めることにしたそうです。
 開業当時は、まだまだ修理の対象となる“自動車”そのものの数が少なく、顧客の中心はバスやハイヤーと公用車で、一般ユーザーは皆無の時代だったといいます。
 そのような中で先代社長は、修理の仕事だけでなく、様々な方面からの依頼を受けてフレームやエンジンといったパーツを取り寄せ、消防車などの車両そのものも造っていたとのことで、ある意味、小規模ながらカーメーカーでもあったそうです。
 当時は全国に同社のような工場が数多く存在し、その後の自動車産業の発展に少なからず貢献してきたのは、いうまでもありません。

■板金塗装、自動車販売を業務に加える
 現社長の建雄氏が同社に入社したのは1964年のこと。お母さんの病気から、一時停滞した会社を盛り返す目的で入社されたそうで、最初の1年間は、昼間は東京の会社に勤めながら、夜は家業をという二足のわらじを履き、実質的に経営に携わってからの1年間で黒字転換したといいます。
 超人的に多忙だったそのころを振り返って社長は「やらなきゃいけないと思えば、人は仕事をするもの。雇ってもらった恩返しをする気持ちがなければだめで、やっぱり義理人情は大事にしたい」と語ります。
 その後、60年代半ばに実施された駅前の拡張工事と国道6号線の開通に伴い、国道沿いに1000?の土地を購入し、業容拡大へ。板金塗装は、取引先の板金工場が倒産したため、その社員を引き取って業務化し、また、地元では後発ながら、自動車販売も始めたそうです。
 現在の主な業務内容は、大型を含めた自動車販売、車検、クイック整備と板金塗装。全社員数22人のうち、板金塗装の担当は6人。これだけのスタッフで、月間100台を目標に頑張っていらっしゃいます。

■アクロベースの環境性能に着目
 さて、同社がアクロベースを導入したのは2005年の冬のこと。アクロベースの環境性能の高さに、社長が注目されたことがきっかけだそうです。
 実際の使い心地について、塗装担当の技術者に伺ったところ、「導入前まで外資系の1液タイプを使用していたが、イサムと塗料販売店(明豊)の充実した技術指導もあって、アクロベースにはすぐに慣れた。メタリック、パールのボカシが簡単で塗装しやすく乾燥も早い。また、メタリックの並びがきれいで、国産車の色に合っているように思う。調色データも非常に充実しているのでムダが無く、実際の使用量もかなり削減できているのでは」との言葉をいただきました。

 社長は現在、BSサミット茨城支部の支部長としても活躍されています。その立場から業界についてお聞きすると、「15年前、米国の車検ビジネスを視察した際、DRPに参加しているかどうかで、仕事量に大きな差が出ることを目の当たりにした。将来、日本も同じ道を歩むことになるだろうと考え、その後、サミットに参加することを決めた。板金塗装を含むカーアフタービジネスは今後、急速に変化して行くだろう。少し前までは“価格”が追求されてきたが、今後は“品質”が最も重要視されるようになる。すでに1台の車を長く乗ることが定着しつつあり、モノも技術も本物で無ければ生き残れない時代になっている。また企業として、コンプライアンス(法令遵守)は当たり前であり、これ無くしては顧客満足度の向上もあり得ない」との意見でした。
 本物を追求し、ボデーショップが果たすべき役割の一つである、環境保護にもアクロベースでいち早く取り組むといった前向きな活動を続ける同社は、今後もきっと日本のカーアフタービジネスを第一線で支えていくことでしょう。

登録日 2007-10-24 最終更新日 2007-10-24 ダウンロード